「経験・勘・度胸(KKD)はビジネスには通用しない」と言われる様になって久しいが、
多くの営業現場では未だ「KKD」に依存したコミュニケーションが散見される。
先日某製薬メーカーの営業部門より
「社内外のステークホルダーと共闘する為のコミュニケーションとは?」
というテーマで登壇機会を頂いた。参加者がステークホルダーの納得感を高めるコミュニケーション術を体験的に学ぶ場(講義+実習)である。
受講後の参加者の声で最も多かったのが
「如何にこれまで抽象的な表現を多用していたか、改めて実感する機会となった」であった。
研修内で過去先方の営業会議で使用された資料を使い、作成者の意図(伝えたかった事)を読み解く実習を行ったが、
「企画立案を打診し続ける」
「企画浸透を図る」
「主旨を徹底する」
と書かれた文章では受講者間の解釈が大きくバラつき、中には「何が言いたいのか分からない・・」
という声もあった。ここでは抽象度の高い言葉だけでは作成者の意図が正しく伝わらない事を認識し、各参加者に自己の問題として置き換えてもらった。
「簡潔明瞭で意味不明」な言葉は巷に溢れている。
最近耳にする事も多い「バズワード」(もっともらしいけれど実際には定義や意味が曖昧な用語)は正にそれにあたる。
「コミュニケーション」はその代表例だ。
因みに弊社ではコミュニケーションを「論理」と「心理」に分け、それぞれ独立した研修プログラムとして提供している。
論理的コミュニケーション研修では言語情報を分かり易く伝え聴く為の「術」を、
心理的コミュニケーション研修では相手の気持ち・感情に適う非言語・言語情報を受発信する「術」を体験的に学習する。
これらのプログラムの背景には「参加者には短時間で「術」を会得し確実に実践して欲しい」というクライアントのニーズがある。
そんな中、とある参加者から下記の様な感想を頂いた。
「入社以来、様々な研修を受けてきて物事を体系的に考える研修も受講してきたが、今回受講した研修が今までで一番実践的で分かりやすかった。
また、これまで自分が如何に思い込みの部分で他者に話をしてきていたかを改めて省みることができるきっかけともなり、非常にありがたい内容でもあった。
ただ、ロジカルに考え話せる様になる事がゴールであったとしても、そこに「思い」や「個性」が無ければ結局のところインパクトがない。
「よく分かるけどね…」「言っている事は正しい、納得はできるけどね…」という、
医師がMRの話に本音を言ってくれる時に口にする言葉を思い出した。
また先日、取引先の幹部から最近のMRの話ぶりやプレゼンを聞いていると恐らくかなりの訓練をしているであろうことは予想でき、惚れ惚れするくらい上手で説得力もあるが、「でも面白くない、心を動かされない」という話を聞いた。」
正にコミュニケーションの本質を突いた内容だと感じた。いくら「術」を学習したところで「思い」が無ければコミュニケーションは成立しない。
コミュニケーションにおける必要条件は伝えたい「思い」であり、十分条件が「術」である。
弊社では薬剤師向けに、患者から「かかりつけ薬剤師」と認知される為のコミュニケーション「術」を学習するプログラムを提供している。
「患者のQOLを高めたい」という薬剤師の「思い」を成就する為だ。
上記を前提とすると、コミュニケーション研修は「思い」を持った参加者に「術」を提供するものであり、
「思い」そのものは参加者自身で形成しなければならない。
コミュニケーション教育に携わる者として上記の感想に触れられた事は、コミュニケーションの原点に立ち返る良い機会であった。
同時に読者にとって自身のコミュニケーションを振り返る機会となれば嬉しい。